マグロの顛末

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     茶箱を改造してインテリアにという世界がある。その脚を担当してるのがアタイ。

    面白半分で始めたものの、近頃妙に数が増えてるんだ。アタイの仕事(たって大した

    ことはやってないんだけど)にも差し障りが出て来るぞ、と請求書をひも解いて

    みればやっぱり年々増えてるじゃんか。アチラ様は商売繁盛でけっこうなこと

    だけど、こっちにしてみれば増え過ぎはストレスになる。なんたって同じものを

    大量に作るのは超苦手だからさ。でも数量制限するのもなんだし。第一制限の根拠

    がない。とはいえ、このまま放置することも相成らん。はて、どげんしたらよかろう

    ばい。

     

     そんな中、こんなもん作れるとの相談があってね。茶箱仲間でバッグを作る方

    からなんだわさ。

     楕円の板、真ん中に穴が開き

     断面はこうなっちょる。隙き間はおよそ1.2ミリ。こんな溝を加工するなんて

    機械じゃじぇったいに出来ませんて。二枚の板を張り合わせなくてはならない

    のは当然だ。相談を受けたとき、え〜! 出来ないことはないけど、面倒くさい

    じゃんか。楕円の端面をまぁ〜るく削るのも以下同文。やって出来ないコトは

    ないけど、積極的なやる気はまったくナッシング。しかも作るのはたった一個、

    知人友人に頼むことなんかこっ恥ずかしくって出来るわけがない。そんならって

    ことで講師をしてるガッコのアシスタントに丸投げしたわけ。

     

     材料は黒檀だ。高いでっせ、と伝えても依頼主は動じることはない。この板、

    籐で編んだバッグのてっぺんに使うということで、1.2ミリの隙き間には籐(皮

    籐)を薄く削って差し込む仕様。お持ちいただいた実物バッグは実に見事な

    仕上がりで、これなら相当高価であるに違いない、黒檀の値段など微々たる

    もんなんだろと納得したわけなの。

     

     でね、懇意にしてる材木屋さんに黒檀ありまっか?と聞いたら、一本だけある

    と。そもそも黒檀は、黒と茶色のまだら模様がフツ〜で、真っ黒くろ助は

    「マグロ」といって非常なる希少材とのこと。う〜む、そういうことかい。

    その希少材が一本だけあると。しかもですよ、板の厚さは依頼品とピッタンコ。

    一応値段はと聞いたら6000円ってことで、即受け取りにいったワケ。

     

     受け取る際にさらに質問だ。マグロは真黒の意味らしい、どうしてマグロが

    ないの? そりゃダンナ、大手の楽器メーカーが買い占めてるんでさ、ギター

    やチェロ、バイオリンなどの指板にはこれでなくっちゃいけねえってね。

    ふ〜ん、なるほど、そういうことと相成っとるのか、拙者ち〜とも知らなんだ。

    そんじゃ、なにかい、も一個欲しいとなったらムリなのかい? そ〜でもねえ

    んでさぁダンナ、蛇の路はヘビってね。アッシの仲間で一軒だけ秘かに数枚

    隠し持ってる奴がいましてね、そいつに頼みゃぁ明日にでもご用意いたしやす。

     

     ま、そんなこんながあって、出来上がってきたのがきのうのこと。開梱して

    みればおおよそのかたちは出来ているものの仕上がりはイマイチ。っていうか

    イマニイマサン。これじゃ到底そのままお渡しすることは出来ない。あ〜ぁ、

    オレ様が大嫌いな磨きをせにゃならんのか。

     黒檀をどう思ってるんだ!とココロでつぶやきながら耐水ペーパーで磨き

    始めた。1000番、1500番、2000番で水をつけながら段階的に磨く。あ〜

    いやだいやだ。大体ですよ、黒檀っていえば金額もさることながら硬さも

    一級品、ってことは磨けば光る玉散る刃のごときでしょうが。それを精々が

    200番程度のペーパーで磨いたところでどうになるもんでもない。ピッカ

    ピカに磨けばそれ相応の手間賃は用意されるのに、磨き痕が残ってるんじゃ

    黒檀に対して恥ずかしくないか? 依頼主の予想を超えた仕上がりこそが

    仕事ってもんじゃないのか。

     

     と、作ってくれたアシスタントに一言教え諭してやろうかと思わないでも

    ないが、物言えば唇寒しなんとやら面倒くさいが先に立つ。でもなぁ、やっぱ

    言ったほうがいいんじゃないか。年取るといろんなこと思っちゃうもんでね。

     

    さてと、磨きに取り掛かりますか・・・・・・・・・・・な、店主でした。

     


    宙づりのミス・ブランチ

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       ブログご無沙汰だなァ〜と思いつつ、これといって書く事もないからの放置

      プレイ。ようようの思いで300個の脚を作ったけど、新味ないし。日暮らし

      寝てるわけではないけど、さりとてといった具合。

       地下への階段、手すりの束(つか)を作ってみた。奇妙なかたちだな。

      こうしたかったわけじゃない、こうなってしまったのだ。ちょっと見カンタン

      そうに見えるでしょ。あにはからんや、けっこうむずかしくってね。ヒヤヒヤ

      しながら加工したわけだけど、わかんねェだろうなぁ。

       手持ちのCDは聴き飽きてもうて困ってたのよね。これはDVDでも同じこと

      なんだけど。そこでふと思い立ったのがレコード鑑賞。さっそく聴いてみたら

      あれれ? こんな音であるはずがない! 販売目的で預かっていたDENON

      PRA-2000Zに繋いでみたら、オウ、オオゥ! これですよ、アタイが求めて

      いたのは。で、売価を確認して入手することに。このプリアンプ、mazdaluce

      3000氏が苦労した完全レストア版だ。

       で、おととい。知り合いの講師から要請のあったVHDプレーヤーとソフト

      を持ち帰る。昔むかしのその昔、ビクターから販売されしものたち。う〜む、

      観れば干渉縞が画面に出るんだ。画像は見れる、けど縞模様ががね。ま、

      しばらくは観てみっか。

       そんなこんなで一段落のここ数日、これをやっつけねばなるまい、と。

      当地ミニミニホテルの天井照明が裸電球では、いつまでたっても開業できず、

      だらしないことこの上もなし。でもなぁ、一体どんな照明にすればいいんだ?

      ずいぶん前から考えてはいたけど、さっぱり考えつかないんだから仕方ない。

      あ〜ぁ、どうせようの期間はけっこう長かったもんせ。

       

       なにか良いアイデアはないもんか? 和室だから杉材か?とか、和紙か?

      とか。あ〜でもないこ〜でもないと折りにふれ考えていたのよね、一応。

      でね、やっぱこれしかないかと思い至ったのが「ミス・ブランチ」。

       これだ。昔むかしのその昔(こればっかだな)、この椅子の切片が販売

      されたことがあってね、高かったけどこんなチャンスは絶対にないだろと

      思ってローンで入手。7万円だった。

       それがコレ。キレイでっせ。なんたって買ってからしまいっぱなしだった

      からね。これを宙づりにして照明器具にしようとね、思ったワケなんだわさ。

      アクリルに封じ込まれたバラの花。ここに5Wのミニ電球を20個仕込めば

      キラキラ輝いて、悪かろうはずはない。もちろん、アクリルに加工は一切

      出来ません。枠を作ってそっと置くだけ。落下しないように、熱で劣化

      しないように、盗まれないように、和の雰囲気もいるし、かといってコテコテ

      でもアカン。

       材料はウォルナットとすぐに決まった。吊り下げの構造体としてね。で、

      どんな構造にするか。アクリル面はできるだけ見せたいじゃないっすか。

      細い部材でミス・ブランチの失礼にならないように、アレコレ考えた末に、

       これで行くかと。わかんないっすよね、これじゃ。単なる部品図だもんな。

      いいものに出来上がったら記事にしますからネ。

       

      これを観るだけでも泊まる価値有り、にしたい・・・・な、店主でした。

       


      玉虫厨子

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         髪を切ってもらって後、帰路代官山のTUTAYA。いつもなら青山のイッセイ・

        ミヤケの6店舗巡りをするんだけど、表敬訪問したばかりでね。せっかく出掛け

        て、このまま帰るのも癪ということで。これといって観たい映画はなけれども、

        今日は緒方拳と思って探したけれど、未見の映画はいと少なく、ならば

        三國連太郎か。検索してたら「玉虫厨子」のナレーションやってて、えっ!って

        感じで観たワケざんす。

         

         教科書でお馴染みの、コレだ。真っ黒くろ助でなにもわからない。一体

        どんなものが描かれていたんだろ? そ〜いえばそうだとふと思い付いてね。

         近くに寄ってもわからない。なんたって国宝だからな、誰も近づけない様は

        まるで原発みたいだ。元々に作り直されたこの部分は、実はこうらしい

         こういうふうになっちょったワケだ。アタシャ、驚いたネ。なんてモダン

        なんだと。中央に聳えるのは山なんだろ。てっぺんに家、下の先っぽにも家、

        周囲に天女が舞ってるし、雲もたなびいてる。へぇ〜、こういう具合になって

        いたんだ。それにしても当時のセンスはどうだ、まるっきりモダンアート

        じゃんか。そう思いませんか、各々方。

         下に見えるは月か? ウサギがいるように見えるもんな。描線が細い

        のにもちょいと驚いたなぁ。それに線の太さが均一なことも。アタイなら

        もちっと太細の差をつけたいとこだ。

         作られた厨子は二体(この呼称合ってるのかな)。元々を復元したのと

        平成風にアレンジされたものだ。手前、下棚板は錺金具取付け後、上は

        取り付け前。上板、緑に見えるのは玉虫の羽だ。

         集められた玉虫の羽、3000枚とか。日本のみならずアジアから集められた

        とのこと。それにしても費用は一体いくらぐらいかかってるんだろう?

        ついつい下世話なこと考えちまう。

         巾数ミリにカット、それを並べて、接着して、最後にゃ金具で隠してしまう。

        なんてこったい、おそれ入谷の鬼子母神だ。ちなみに、羽をそのまま接着出来ず、

        一度湯通ししたとのこと。羽を煮るんかい!

         屋根は板から切り出す。多分ヒノキだろ。

         漆を塗り、金具を付け(上部の黒と赤のコントラストがなんかスゴイ)

         組み立てる。まったくもって素晴らしい。屋根は2つに分割されてて、

        これは下の屋根。ヒノキを削り出して、漆を塗るんだけどさ、30センチ四方

        を塗るのに3〜4時間、仕上げに炭で研ぐのに数倍の時間がかかり、さらに

        それを数回繰り返すんだと。根気に脱帽だい。

         で、この方が施主様。おっとりしとるんだ。完成する前に亡くなって

        しまったとのこと。完成を目にすることなく、亡くなってしまったことは

        もちろん心残りだろうけど、作る過程を見れたことだけできっとかなり

        満足してたんじゃないかしら。自分のお金で、今まで誰もやろうと

        しなかった美術品を模作しよう、ついでに平成版も作っちまおう、たまに

        出掛けて作業を間近に観て、感心もし、出来上がりを想像もする、そんな

        体験はまるで1300年の時を遡って往時の名工の仕事ぶりを見れることに

        通じることだろ。

         

         自分の持ち金を何に使おうか? 何か買うにしろ、どっかに出掛けるにしろ、

        なにか作るにしろ、元は自分のお金だからだれにも文句は言われない。誰に

        迷惑をかけるでなし、後ろ指を指されることなんかじぇんじぇんアリマセン。

        それが気持ちいい。きっと製作に携わった職人の方々もそういうことわかった

        上でのことなんじゃないか。だから、きっと気持ちよく仕事出来たんじゃ

        ないだろうかネ。

         

        いまどき気持ちのイイことでありました・・・・・・な、店主でした。

         


        ダンゼンめろでぃ派

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           音楽は、メロディとリズムの2つの要素で成り立ってるんじゃないのかな。

          よくわかんないけどさ。そもそも、音楽は一定の時間の中で、音の高低と長さ

          がウマイこと組み合わさって出来上がってるもんだ。でも、それだけじゃなく

          強弱もあるな。フォルテとピアノか。そんじゃ、高低と長さと強弱ってこと

          になるんかいな。よくわかんないけどさ。多分そういうことなんだろ。

           

           太鼓は高低があまりなく、強弱と長さだけだからリズム楽器(ティンパニ

          は高低つけられるけど)、弓を使う弦楽器は強弱つけられるけど太鼓ほど

          リズムを刻むのが得意じゃないからメロディ楽器、アタイは勝手にそう

          思ってるんだ。小6のときに聴いたプラターズはメロディ中心、だからと

          いうワケでもないじゃろが、今もって聴くのはメロディ主体の音楽に

          どうしても傾く。そんなことど〜でもい〜じゃん、って言われるかも

          しれないけどさ、他人はど〜でもい〜ことでもアタイには気になるのよね。

          コレがさ。

           

           リズム派の雄はなんたってジェームズ・ブラウンじゃないか。バックの

          ギターやトランペットもまるで打楽器のような奏法、メロディなんかど〜

          でもエ〜!気分丸出しだもんな。子供んときに観たターザン映画で丸太を

          くり抜いた太鼓(あんなもんホントは使ってなかったと思うけど)を叩いて

          FAXのようなやり取りが昇華してここに在る、みたいな感じ。とはいえ、

          良さは理解出来ることと、CD買って聴こうココロは違うわけでね。つまり、

          イイこたぁわかるけど、いつどこで聴けばマッタク見当つかない有様なの。

           

           一方のメロディ派。そりゃなんたってバロック音楽でしょ。17世紀を

          中心にして150年ほど続いたバロック音楽、アタイの耳にふれたのは20才

          くらいのころ。服部幸三さんの司会、FM放送で聴き続けていたのが端緒。

          弦楽器を中心にした小編成演奏、打楽器はなく(多分だけど)、いと優美

          で美しいメロディが淡々と奏でられるのみ、初対面のときから大好きに

          なってしまった。CDもなくLPのみの時代、オープンテープでひたすら

          FM録音し、けっこうな量を眺めて悦に入っていたアタイ。当時、バロック

          音楽を聴く友人なんかいないから、話し相手は皆無、でもそんなことは

          ほとんど気にならない、で今に至る。雀百まで踊り忘れずだ。

           

           そんなことに思い至ったのは、ニルソンの名盤に衝突したのがキッカケ。

          彼の数枚のCDを取っ替え引っ替え聴いてるけど、なにがいいんだろと自分

          でも不思議でね。声が好みだということもあるけど、メロディがいいんだ、

          どうもそういうことらしい。そのことに思い当たったってワケ。ど〜りで、

          ロックも聴くけど、なんたってクィーンだしな、そういうことだったのかい。

          で、しばらく前にこれを発見!

           「バロック音楽の快楽」全5枚。レコードCDともにバロック音楽は、

          そこそこ持ってる。持ってるといっても網羅してるわけじゃないし、系統

          立ててるわけでもない、有名どころから聴き始め、友人の友人といった

          具合に次々とバトンタッチされて、むやみやたらに安物買いの結果でね。

          中味はバラバラなのさ。

           

           でも不思議なことに手当たり次第に聴きまくっても、演奏の善し悪しが

          だんだんわかってきてね、ローマ合奏団とかイタリア合奏団がいい感じとか、

          アカデミー室内管弦楽団とかネビル・マリナーがお好みになり、行き着く

          果てに、クリストファー・ホグウッド指揮のエンシェント室内管弦楽団に

          至ったんですわ。引き締まった演奏と音色が素晴らしいとビビビッとココロ

          に響いたんだわさ。で、この5枚組み。演奏はほとんどホグウッド&

          エンシェントだし、これまた大好きなエマ・カークビーが唄ってるじゃぁ

          あ〜りませんか。

           

           エマ・カークビーご存知ない? アタイと彼女の出会いは、モーツァルト

          Exsultate Jubilate。清冽っていうのはこういうことだろと出会った

          時からまったくもっての一目惚れでね。彼女を付け回して行くうちに、件の

          ホグウッドとたびたび共演してることを知り、やっぱりね、類は友を呼ぶ

          ちゅうか、叩けよされば扉は開かれんというか、やっと出会えた夢の君と

          アタイは一人自分勝手に思っちょるんだわさ。まさに彼女の声は、バロック

          音楽にふさわしい、天使の声とはこのことだ。妙な色気無用、ただひたすら

          に抑揚と高低を静々粛々と歌い上げることが、メロディ好きのアタイを夢の

          世界に誘う・・・・・・・。ナンチテ。

           

           この5枚組み、いろんな作曲家の曲が少しずつ演奏されてる。知らない

          曲も多くてさ、そこから枝葉を伸ばせば知らない名曲と出会える可能性は

          高いと思うのよ。この年になっても名曲と知り合える歓びなんてものは

          若者にはわからんだろうな。すでに、残された時間の短さを知ったアタイ、

          音楽に限らず新しい体験がことのほか貴重でね。たとえそれが世間一般じゃ

          当たり前でささやかなことだとしても、アタイが実感するということの

          一点において非常重大事なんだと言いたい。

           

          あな恐ろしや、バロック音楽の魅力の虜・・・・・・な、店主でした。

           


          隠居の道楽

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             カラダが痛い! 筋肉痛の源泉は腿。寄る年波に勝とうなんて思っちゃいない

            けど、ここ一週間の現場仕事のツケが腿痛に至り、実感真っ最中のこの頃、古今

            の老人皆様ご同様、年波には勝てないないザンスと諦観してるとこなのダ。

            ウ〜ム。

             

             とある学校の学生ホールを改装するにあたり、造作家具?を頼みたいと相談を

            受け、図面を描き〜ノ、模型を作り〜ノ、作るお手伝いをし〜ノ、それが

            終わったワケなんだわさ。そもそも、68才の昔なら充分還暦お年頃のアッシに

            なんでこんなコト頼むのか。他にもっと適役いるだろうに。そう思わないでも

            ないけど、居ないからなんだろう、依頼主とは旧知の仲だし、数年演劇ごっこ

            やったこともあったから、一を言えば十とは言わないまでも五くらいは理解

            できるから、それでということなのかしら。それにしてもなぁ〜・・・・・・。

             

             これが

             こうなり

             これが

             こうなり

             さらに、こうなったとこもあり。

             アタイの仕事は、塗り塗り公介。工場で出来上がったパネルを次々と運び

            出して

             塗って塗ってまた塗って(炭坑節だなこりゃ)

             上下で塗り分け、間に緩衝地帯を用意したけど一枚だけ赤がダレダレに

            なっちまってもうた。アイヤ〜!。スマン失敗してもうた、も一枚作って

            くれたもうなかれ?  のココロ。パネル運搬だけでアタイの腿は臨界状態。

             窓側ハイカウンターの脚だ。柱を挟んで左右に長い板のカウンター、これを

            取付けるためにコンクリ壁に穴を開けるのが大変だった。アタイと義理の息子

            (娘のダンナ)の親子鷹?で一気呵成になんも考えることなく振動ドリルで。

            で、脚。二枚の円弧板を2㎝の棒をくっつけて、まずは片っぽだけ後ろと上に

            固定し、

             斜めの棒を取付けて、

             最後にもう一枚を取付けてオワリ。どうってことない構造だけど、今回の

            工事でほぼ唯一のデザイン的工夫? 後壁が出来て、カウンターが出来て、

            それを隠れて取付けるには、前からと下から付けなくちゃならん、それには

            こうするしかないだろ、ってこと。

             ほんでもって取り付けが終わったら塗装じゃ。テープでマスキングして、

            塗るんだけど、上面はマンズハァいと容易い。といってもプロじゃないっす

            から、そこそこ程度。でね、上が終わって隣りのS野嬢が下も塗らんと板が

            反るよねと言うんだ。そりゃアタイだって知ってるけどさ、下を塗るとなる

            とニュートンの法則で塗料がね、ダラダラと落ちるからさ、やらなくても

            いいかって思ってたんだわさ。そこへ確認のお言葉、やっぱそうかい、塗れ

            ってことなんだな。ってことで塗り始めたら案の定刷毛を伝って塗料ダラダラ

            となり、いやはや予定通り思惑通りの展開になっちまった。

             コルクボード中央、下は湯沸かしポット上は電子レンジの棚がつく。

            一人取り付けガンバルは、H本しゃん。

             左がT本しゃん、右がT野井しゃん

             ドアの取付けに忙しいS野嬢。

             急遽助っ人のI垣君はビス頭タッチアップ専門員

             ピクチャーレールを吊る別働隊はT麻君。これで全部だ。

             

             ようもまぁ隠居の道楽仕事に付き合ってくれたもんだと感謝しきりなの。

            そりゃお金が動くからさ、タダでってことじゃない、仕事さ、と言われる

            かもしれないけど、アタイのココロは違うんだ。齢68才、今後こんな仕事

            はないだろ、これがアタイの人生にとって最後の現場仕事になるにちがい

            ないと思ってるんだわさ。そんな気持ちが、単なる仕事ではないという

            思いにつながり、付き合ってもらってサンキュってことになる。

             

             工事が終わって依頼主に報告の電話を入れ、家に帰る。そしたら、依頼主

            から電話があり、「色を塗り直せる?」ときたもんだ。指定通りの色だから

            工事に問題はない、そんならなぜ? と聞けば、夏には夏の雰囲気にしたい

            って。え〜! そんなことアタイにはムリざんす、そしてやりたくないざんす

            と思うけど、とりあえず夏のイメージにするには布しかないかなどと考え

            ちゃうアタイ。もし、それを提案したら、そんじゃやってみてみいとか

            言われちゃうに決まってる。あぶないあぶない、ここは一番沈黙は金作戦

            ってことでダンマリを決め込むのでありまする。

             

            無事完了のオチは「塗り直せる?」ってことかい・・・・・な、店主でした。

             


            名盤に反響あり

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               ロックの世界でアル中から奇跡の生還を果たしたのは3人しかいないと

              囁かれていてニルソンはその一人。ウィズアウトユーの絶唱も見事ですよ。

               

               このようなコメントをいただいた。ドラッグ、飲酒はつきもののJazzやロック

              世界、たばこもやらず酒も飲まずクスリや女に手も出さず長寿を言祝ぎ健康志向

              に精を出すなんて輩はどうにも不純でイカン。異なる業界、愛読してる筒井康隆

              様だって偽文士日碌という冠でブログ書いてるもんなぁ。文士たるもの酒女犯

              腕に注射針という文士の王道から逸れていることのナンチャッテ感はあるんだろ。

               

               とはいえ、こんな名盤を易々と作っちゃえるニルソンがなぜにアル中になるの

              か、イマイチ腑に落ちないのよ。アタイだって酒は飲む、女性だって犯すことは

              ないけど、そこそこ妄想はある、でもトコトンまでは行けず、そんなことしたら

              生活がメチャクチャになっちゃう、そう思ってサイドブレーキ引いてしまうのは

              それが私の限界だということなんだろ。突出した才能の持ち主は、なにごとにも

              突出できるというかしてしまうというか、限界は全方位に展開され無限に広がり

              酒でもということなのかしら。

               

               「ウィズアウトユー」とってもいいことはアタイも同感だ。そのことを決して

              否定するわけじゃないけど、万能なスピーカーはない、合う音楽がある、と同じ

              ように、歌手にも合う曲や音域声量があるだろうとアタイ思っちゃう。例えば、

               

               NYのビルに飛行機が突入した前年にディーバズライブというコンサートが

              あってね、そこで登場したキャロル・キングがセリーヌ・ディオンと共演したの。

              歌ったのはTHE REASON。キャロルを尊敬しアイドルと思ってるセリーヌ、

              キャロルが作曲したこの曲を一緒に歌えることに大きな歓びであることが伺える

              名演であることはアタイ太鼓判だけど、なんたって二人の馬力が違う。セリーヌ

              余裕しゃくしゃく、対するキャロルは目一杯、キャロルがんばってるなァと、

              コレ観るといつも口元が微笑んじゃうんだ。やっぱキャロルの真骨頂は、耳元で

              囁くようにってことだろう、とね。

               

               さらにその前年、一回目の同名ライブに登場したのが、ティナ・ターナーと

              エルトン・ジョン。THE BITCH IS BACK。エルトンが作った曲らしいけど、

              相手が悪い。「あばずれさんのお帰り」誰かが訳してたのをネットで知ったけど

              あばずれさんであれば、ティナにはかなわない。声量音域は充分だけどなんと

              いってもキャラクターの差はデカイ。スマートすぎるんだエルトンは。それは

              クラプトンでも感じることだけどさ。土臭さみたいのがなくて、都会的、そこ

              が魅力でもあるけど、本人の憧れは別のとこにあるような気がしてならない。

               

               これらと同じように、ニルソンの魅力真骨頂と彼の憧れや志向性が一致して

              ない感じを受ける。でも、そこに親しみを感じるし共感も大きいってことが

              あるしな。つまりは表ばかりで裏もない、ツルリとしたことじゃ満足出来ない

              カラダになってもうたってことなんだけどさ。浮気をしそうな感じがしない、

              いたずらもしないし、毒舌皆無、みたいな人はそれはそれで仰ぎ見る存在では

              あるけど、結局は親しい存在には成り得ないなんだろうなぁ。

               

               ついでにPUSSY CATSも聴いた。当時きわめて親しかったジョン・レノンが

              プロデュースしたとある。リンゴもドラム叩いてるみたいだ。夜のシュミルソン

              とは打って変わってごちゃ混ぜ感満載で、まぁタイトルがタイトルだけに中味は

              想像出来るけど。ビートルズのホワイト・アルバムを思わず思い出してしまった。

              多くのファンが嘆いたみたいだけど、アタイはイイじゃんと思った。ジョン・

              レノンだってイマジン以後は、なにかって〜と平和の使者みたいな取扱いされて

              る感じするけど、そういう一面もあるってことなんじゃないの。ニルソンにして

              もしかり、クルーナー美声の一面を持っているけど、酒に溺れて、悪態たれて、

              声も潰れて、という面だってニルソンには違いない。こんな無能なアタイだって

              いろんな面を持ってるんだからさ。ましてや有能多才な方々であれば尚更のこと。

               

               自分の能力の最良なところ、それと自分の志しとが一致してれば、それは

              それで「幸いなるかなサモン」(古いなぁ、ワッカルかなぁ)だけど、一致して

              いない場合のほうが多いんとちゃいますかね。なにがどこが自分に向いてるのか

              わからない、あれこれ行きずりのままに彼方此方手を出して、たまたま評判が

              高い仕事になっちゃって、それが代表作みたいなことになり、それでレッテル

              貼られたんじゃ、やりにくくてしょうがないってことなんじゃないだろか。オレ

              の人生オレの好きなように生きてなにが悪い、世間を気にする人多いけど、

              「そんじゃ世間はなにしてくれるの? なんにもしてくれませんよ!」と美輪

              明宏の名言もあったもんな。

               

              奇跡の生還他の二名は誰なんだろうネ?・・・・・・・・な、店主でした。

               


              名盤衝突

              0

                 たまたま聴いていたゴンチチのFM番組がコトの発端。ニルソンのことを話し

                てた。人前で演奏するのが好きじゃなかったとかなんとか。若い時に観た

                「真夜中のカーボーイ」で主題歌?歌ってたニルソン、なんとなくタダ者では

                ないと感じて、以来幾星霜。そういう人だったのかい、そんならちゃんと

                聴かなくちゃならんだろ、amazonで数枚CDを予約し、届いた二枚を聴いて

                たんだ。この二枚やっぱりというか予想通りイイんだ。

                 

                 んでね、次の一枚が届いて、一階にある5連奏のデッキにセットして、聴く

                ために地下に降りたのよ。このデッキはオークションで入手した古い機種で、

                読み取らないことがあったりスタートが遅くなったりがしばしば、そんときも

                なかなか始まらないのよ。地下の椅子に座りパソコンいじってたら、いきなり

                曲が流れ始めたワケ。聴いた瞬間鳥肌立っちまって、どビックリ。老齢意固地な

                アタイにも鳥肌立つことがあることにも驚いたけど、それよりなによりニルソン

                のアルバムの素晴らしさに驚愕したんだわさ。

                 

                 それまで私が抱いていたニルソンってのは、作曲なのか歌手なのかよう

                ワカラン人、歌も上手いのかイマイチ実感がない、曖昧な存在だった。そのこと

                が、気にはなるけど、長らく疎遠であった理由だったんだろうな。CDを買うに

                あたってチョイと調べたら、歌い手としての実力はあったらしく。でもなぁ、

                それほどの歌い手なのかと疑惑なココロだったのよ。

                 邦題「夜のシュミルソン」。このCDを聴いて、アタイのちっぽけな疑惑は、

                吹っ飛んで宇宙の彼方ブラックホールに吸い込まれていったのでアリマスル

                のだ。

                 

                 歌声がすばらしい。ささやくようでいて低音から高音まで柔らかく伸びる。

                多分、これはクルーナーといわれるもんだろ。なんちゃってな音楽ファンの

                アタイが言う事だから差し引いて読んでけれ。クルーナーの代表といえば

                ビング・クロスビーじゃないかね。彼の正統後継者としてパット・ブーン、

                ちょうどプレスリーの登場と同じ頃の人、でも時代の軍配はプレスリーに

                挙ってもうたと聞いた覚えがある。フランク・シナトラやナット・キング

                コールも同種の歌手だし、日本では藤山一郎、最近では大瀧詇一だと浅学な

                アタイは思ってるんだわさ。

                 

                 曲はすべてスタンダードナンバー、全部知ってるっていうんだから嬉しい

                じゃあ〜りませんか。加えて、編曲・指揮はゴードン・ジェンキンスだって

                いうんだから鬼に金棒でっせ。ストリングス中心の甘く流麗な演奏とニルソン

                の歌声が相俟って、これを名盤と言わずになにが名盤なんだ! と一人悦に

                入ってるのでありますわいな。とはいえ、人に紹介されて気に入ることは

                ほとんどないアタイだから、いささか誇大に聞こえるこの紹介を読んで、

                聴いてみて、共感していただけることはほとんどないんだろうなぁ。

                 

                 入手以来こればっか聴いてるのよ。あぁ、こんなに聴き続けたら飽きちゃう

                のに、と思わないこともないけど、これほどアタイの♡をがっちり鷲掴み

                したのなら、飽きることなんかあるの? トコトン聴いたろやないか。

                でね、重ねて聴いてみれば魅力は増してくるというか発見があるというか、

                ますます良くなることにうれしさ倍増。

                 発見の一つは編曲にある。例えば、冒頭にAs time goes byがちょっと

                だけ歌われ(まるで前菜みたいだ)、終わることなくそのままLazy moonに

                移り、Lazy moonの終わり部分にはOver the rainbowのイントロが流れ、

                そのままOver the rainbowになるかと思いきや二曲目のFor me and my gal

                となり、といった案配が全曲にわたって繰り広げられるんだ。

                 

                 曲間の無音も短かったり長かったり、いたるところに編曲者の考えが見え

                隠れして、まったく飽きることはない。マントヴァーニ、パーシーフェイス、

                101ストリングスと似たようなオーケストラは数多あるけど、Jazz畑の

                ゴードン・ジェンキンスだから、単に受け継いでいるだけの懐古趣味ではなく

                モダンな感じがあってさ、それもまた魅力倍増の大きな要因だろうと愚考する

                ワケ。まったくもって今までこんな名盤となぜに出会えなかったのかと思う

                反面、生きているうちに出会えたことの歓びはなにものに代え難いときた

                もんだ。

                 

                 そんな御一人様大賛辞の嵐の中、この手の音楽は作られた当時も、今は

                なおさらのこと理解されることなんかないんだろうなぁとも思ってしまう。

                リズム楽器の雄ドラム大将の出番はほとんどない。出演者はバイオリンを

                主役としてチェロやコントラバス(多分)、オーボエやフルート皆々様の

                クラシック音楽メロディ楽器ばかりだからさ。どこを探しても、ソウルや

                ヒップホップのかけらも見当たらない。現在主流のアップテンポ皆無だし

                弾むようなリズムもない、あるのは粛々と流れる優しいメロディ(きわめて

                美しく、作り手と会話することができるもんだけど)だけだからね。

                フランス映画「幸福」を彷彿とさせるこのアルバムを、名盤だとわかって

                くれる人は数少ないにちがいない。最後に、録音映像をご紹介しておきます。

                https://www.youtube.com/watch?v=4H2922CVjV8

                 

                 

                名盤はあくまで私のものだけ・・・・・・・・・な、店主でした。

                 


                多チャンネルの憂き目

                0

                   テレビのスイッチを入れ、まず全部のチャンネルを一通り探訪しないと気が

                  済まないアタイだ。地デジとBSすべてを一巡り、それからおもむろに録画

                  チェック、ほとんど録画しか観ないんだけどね、一応。だからというワケでは

                  ないけどかといって無縁ではないのが生活のチャンネル多極化だ。

                   

                   昼夜の料理、洗濯、掃除の生活雑事(料理は雑事ではないだろけど)は皆様

                  ご同様。相変わらず藤沢周平を読み、音楽を聴き、の世に言う趣味趣味もある。

                  加えて、ファクティオなる店と地下の試聴室と、さらに二階を民泊が完成した。

                  それらすべてが常に稼働しているわけじゃないけどさ、どれかに緊急始動と

                  なれば、他のことにけっこうな影響は出るのでアリマスるのだ。元々が整理

                  能力がないくせに好奇心や欲望はとめどなく湧くタチだから、あわてふためく

                  混乱は予想出来ることだけど、何度そんな目にあっても懲りないんだなァ、

                  これが。

                   

                   去年暮れに、友人から☎があって、ちょっと相談があると。行ってみたら

                  家具を作ってくれんかみたいなことでね。図面やスケッチ渡されたのよ。 

                  やるやらないはともかくも、まずは模型を作らニャなるまい、って図面を

                  拡大コピー、隅で寝ていたスチレンボード引っ張り出してチョチョイの

                  チョイ。これがファクティオチャンネルのスイッチONの始まり。

                   レイアウトとかたちだけがわかる白模型を渡して、こんな感じ? と。

                   

                   こんなデカイ仕事アタイにゃ作れないし作りたくない、知り合いの工場に

                  赴きこんなのできる? と相談、大丈夫でっせの解答を得て、ほてからに見積

                  をお願いしたわけなのだ。まだ正式に仕事として受けたわけじゃないし、友人

                  として無下に断るわけにもゆなかい、まぁ軽い気持ちでいたんだよな。でも、

                  心中思い通りの展開で、図面描いたり金額の折衝、再度の模型作りをやらざる

                  を得なくなり、ここまで来ればアタイがやることになるんだろうなぁ、と思い

                  つつズルズルと巻き込まれ型。

                   

                   最初の模型は相手に渡して戻ってくることはないから、製作用の模型を再度

                  製作しなくてはならん。図面でもいいけど、アタイ自身の理解が深まらないと

                  不安でしょうがない。ってことで、

                   本チャン用の模型を作った。色付き豪華版?だ。上はパソコンデスク、下は

                  窓前のハイカウンター。コレ以外にもあるんだけどさ。話は進んで正式に発注

                  されて、工場に打ち合わせに行ったり、依頼主の友人と話し合う事数度、さあて

                  最終図面を描いてほしいということになったんだわさ。お客と工場の仲を

                  取り持つのがアタイだ、これってプロデューサー? よくはわかっていないけど

                  そういうことになるんだろうな〜。なんてこと考えつつ、

                   パソコンで図面を描きたいのは山々なれどもアタイのパソコンにゃソフトが

                  注入されないから、どうしたって手書きってことになる。今さら手書き図面

                  かい! そう思わないでもないけど、背に腹は代えられない。数十年使って

                  ない三角スケール(通称サンスケ)の出番、ちっこい定規と組んずほぐれず

                  の乱交となる。昔は、こればっかだったもんなあ。今回は普通紙だけど、

                  昔はトレーシングペーパーでね、鉛筆で描くとすぐに先端が丸太りしちまう

                  から、鉛筆は回転しながら線を描かなくてはならん、そんな思いに浸りつつ

                  ひたすらの図面稼業?。

                   

                   二十代のころ、専任してた学校で図面の教科書と作ろうとの企てがあって、

                  膨大な図面を手分けして描いたことがあった。そんときに渡されたのがマイラー

                  という特殊なトレーシングペーパーでね、これが滑りが良くってビックリした

                  ことを思い出す。ぜんぜん鉛筆が減らないんだ。紙ではなく薄い樹脂板の片面

                  だけがザラザラ仕上げ。でね、印刷用にと黒インクで描くことになり、やって

                  きたのがうら若き美嬢トレーサー。そんときすでにロットリングという製図用

                  万年筆はあったんだけど、美嬢は烏口、それで描く線の美しさにクリビツ!

                   先っぽにインクを入れ(入れるっていうのも変だけど)、溜まったインクの

                  量だけ線が描けるの。ネジを回せばいくらでも細い線が描けて、キレイさは

                  並大抵ではなく、ロットリングの比じゃない。だけど、先端を磨かないと

                  キレイな線は引けない、小さな砥石で先端内側スリスリしなくちゃなんね〜の。

                  まるで鉋(かんな)みたいなもんだ。今じゃ、こんなもの誰もしらないだろう

                  と思っての紹介だけど、知ってるからといってだからどうなんだ!と言われても、

                  その通りアタイが悪うござんしたと引き下がるしかないけどさ。

                   

                   アナログの極みの手書き図面、社会から取り残されてる実感まざまざの日々、

                  そういえば、過日T定規持ってる?と聞かれたことがあったっけ。手書き必須

                  道具だ。

                   友人のそのまた友人が使う必要が出来したけれど、すでに手元にはない。

                  アタイだって持ってないよ、そんなもん。ずいぶん昔に捨てたもんな。

                  でも、油断大敵雨あられ、これが必要になってもうた。袋入りほぼ新品が

                  学校にあって、もうだ〜れも使わないから、それそのまま差し上げたのよ。

                  多分、こういう人こういうことはけっこうあるんと違う? 一見平穏な

                  デジタル河川、干上がってしまえばアナログが陽の目を見る、なんだか

                  そういう思いがね、してるワケなのさ。

                   

                  昭和アナログ世代の戯言でスマンのう・・・・・・・な、店主でした。

                   

                   


                  昭和の話

                  0

                     頼まれて小学三年生の教室で話して来たもんせ。10:30にしいのき門に来て

                    ください、行ったらお母様数名が出迎えて、校長室へ。壁に歴代のPTA会長の

                    写真がズラリ、聞けば創立96年だとか。知ってる方が3人いた。女性校長と

                    お話する他2名と世間話。まったく場違いなとこに来てしまった感、すでに

                    満腹。後から来る人がいるらしく、しばし歓談、間が持てないこと甚だしい。

                    でもそう思ってるのはアタイだけ、浮いちゃってるんだわさ。

                     

                     しばらくして三人到着。私の地元のこの小学校、多摩川に近い。昔は京浜

                    工業地帯だったけど、工場は移転し跡地に多数のマンションが出来た結果、

                    児童数は激増、一時は都内最大のマンモス校。1000人を越えたとか。運動会

                    ともなれば、校庭は満杯で父母たちは教室や屋上から見ることに相成ったとか。

                    授業合間の休憩時間、児童は校庭、体育館、屋上と三カ所に振り分けられて、

                    整然と遊びに興じるとのこと。そして、その分別休憩は整然と行われている

                    と校長は言う。まぁ、そうなんだろうけど、おとなしく規則に従うってのも

                    どうなんだろうかとアタイ。

                     

                     今日は、インフルエンザで数人休んでいる児童がいる、方々は大丈夫?

                    ってことで、マスクを渡される。着用はご自分の判断でけっこう、マスク

                    なんか数十年使ったことないからさ、大袈裟すぎないかと思わないでもない

                    けど、やっぱそこは大切なお子たちを預かる小学校ならしかたないのかな。

                     

                     二年生がお迎えに来て体育館。二年全員で歌を、そして踊りを鑑賞。アッシ

                    にはかかわりあいがねえこって、ごめんなすってと言いたいとこだけど、そう

                    いうわけにはゆかない。終わって、なにか一言いただきたいと。げげっ、

                    なにか言わなくちゃならないのかい。でも、その要望に、誰も反応しない、

                    とりやめになったの? と安心してたのさ。そんでね、お名前だけでもとか

                    言われ、最初の方が名前とともに一言述べるんだ。なんてこったい、やっぱ

                    なんか言うのかい!。二年生の歌とか踊りなどというものは親子親族だけが

                    楽しめるもんじゃろ。赤の他人、しかも格別子供が可愛いとも思わない

                    アタイだ。一体なにを言えっていうのかいな。

                     

                     適当にお茶を濁して、いよいよ教室へ。児童二名と先生とともに。話は30分

                    って聞いてたんだけどさ、一応って思って確認したら「押してまして」とか

                    なんとかあやふやな発言な担任。それって短くしてくれってこと? ハッキリ

                    言わないからわかんないのよね。再度念押し、20分くらいにするのですか? 

                    と聞けばそうだと。それならもっとはっきり言ってよ、報酬は出ないけど一応

                    仕事なんだからさ。

                     

                     で、お話開始。昭和という時代は、世界史上No.1のことがあるんだけど、

                    わかる人? 男の子が一人手を挙げて「長いこと」と答える。どひゃ〜、

                    知ってるんだ、驚いたもんだ。この子はそういうことが好きなんです、と

                    先生。ふ〜ん、侮れないなと思ったんだわさ。くらし、あそび、TVや映画、

                    そして音楽のこと、昭和のことについてのあれこれを話し始めたとたんに

                    終わっちまったやないか。そりゃなんたって20分だもんな、ハナっからムリ

                    でっせ。子供達は私が講師をしている専門学校生よりも反応はよくて質問も

                    ドンドンだ。こんな自由闊達な子供たちが大人になると、どうしてあんなに

                    無反応質問皆無状態になるのか、ようわからんので候。

                     

                     時間を気にしつつなんとか終わり、再度校長室へ。こんどはコーヒーだ。

                    わざわざ出向いていただいて、お忙しい中、貴重なお話を、言葉はすべて

                    低姿勢で気持ちわりい。そして児童に対する恐るべき気の遣いように時代を

                    感じる。近時、なにかっていえば、目の敵にされる学校だから、戦々恐々に

                    なるのはわかるけど。そんな中でつい私の子供時代を思い出した。

                     

                     同じ小学校3年のころ、母の実家の米沢で、毎夏ほとんど毎日川に泳ぎに

                    行ったのよね。子供だけで数人、自転車で一時間ほどの小僧ヶ滝、けっこう

                    手前で下車し、歩いて、奥羽本線の線路を渡り、道なき道を10分ほど歩く。

                    近道したいときには真っ暗トンネルを歩く。あるとき、列車が来ちまって

                    待避穴で通過を待ったこともある。列車の明かりがキレイでね。川は深みも

                    あり、小魚がいる浅瀬もあり、2mほどの滝もある。おにぎり持って一日中

                    遊ぶわけだ。さらに、下流にはオンボロ吊り橋があってね。床板なんかない、

                    ワイヤーローブに裸足、落ちたら死ぬ、そんときの恐怖は忘れようにも

                    思い出せないほど?  だ。

                     

                     保護者もいない、子供だけで、そんな危険なとこにゆくことなんか今じゃ

                    とても考えられないことでしょ。どうしてそうなってしまったんでしょう

                    かね。ノラ犬はいなくなり、小汚い店もなくなり、安全で清潔、快適生活、

                    健康に留意し、それは悪い事ではないとは思うものの、物事は表裏一体で

                    イイことばかりではないんじゃないか。清があれば濁もある、清濁併せ

                    呑むっていう言葉は死語になったのかい。

                     

                     明治は遠くなりにけり、昭和も遠くってことなんだろ。でも、それが

                    歴史ってものだろうし、異論はない。でもなぁ、正論ばっかじゃつまんない

                    ってもんじゃないっすか。

                     

                    子供は元気なれど大人の規制が抑圧しとる・・・・な、店主でしたァ。

                     


                    カーマ・スートラ 2

                    0

                       つい最近、4本のDVDを観た中で「ソフィーの選択」に仰け反る。メリル・

                      ストリープの熱演に改めて感心したんだ。いまさら言うまでもないけどさ。敬愛

                      するキャサリン・ヘプバーン、ベティ・ディビスを観たときと同じような感じ。

                      最初は寝転がって観ていたけど、思わず起き上がって観るっていうかさ。近頃、

                      なかなかないんだ、そういう映画。ひどいときには途中で寝ちゃったりしてね。

                      で、やっぱぜんぶ観とかなくちゃと、amazonで6本購入。寝た子を起こす子守唄

                      なんちて。

                       

                       ってなことありつつ、のカーマ・スートラ。数多あるインドの同類の本、時代

                      とともに一冊にまとまったのがコレみたいで、これまた数多ある神話が一つの本

                      にまとまっていった聖書みたいなものと同じような成り立ちみたいなんだ。

                      つまりいきなり現出したのではなく、各地でバラバラにそれぞれの考えで書かれた

                      歴史があり、時とともに収斂されたのがカーマ・スートラだと、私は理解した。

                       

                      現存する資料からみると「カーマ・スートラ」は全7部36章64節の細分化された

                      テーマからなっている。オリジナル・テキストは10万以上の章からなり、また、

                      そのヴァリエーションも多々見つかっているが、現在のところその全体像は、

                      以下のように7分類されている。

                      1  総論

                      2  性交

                      3  処女との交渉

                      4  妻

                      5  他人の妻

                      6  遊女

                      7  秘法

                       それぞれの項目について、微に入り細に入り、これでもかっていうほどの詳細

                      ぶり。とてもじゃないけどついて行けないアタイ、情けないんだ。知りたいと

                      思うココロはありぬれど、トコトンまでは行けませぬ。なにごともほどほどが

                      よろしい、自分に都合のイイ考えをペタペタとくっつけて、心の鎧にするのは

                      いつものこと。自分で言うのも憚られるけど、あくまで学者肌であって学者では

                      ないからな。で、この本の目次は以下の4項目。

                      1  出会い

                      2  誘惑

                      3  誰にも習うことのない愛の技術

                      4  愛こそすべて

                       SEXするには相手と出会わなくちゃいけない、そしてキッカケを作って、いざ

                      という具合で、この順列は自然でわかりやすい。著者を調べたらアタイとほぼ

                      同年代で、なんか感心。どうでもいいことだけど。この記事のために再読したら、

                      カーマとは、聴覚。触覚、視覚、味覚、臭覚の五感の働きに、心と魂の協力を

                      えて、特定の対象を享楽することである。その本質は感覚器官と対象の一種独特

                      な接触にあり、この接触から生じる快楽の意識がカーマと呼ばれる。

                       

                       カーマのことがさらに詳しく述べられている。この一文を読んで感じたこと

                      がある。世に6大芸術論というのがあり、彫刻、建築、絵画/音楽、舞踊、

                      文学であるんだけど、前者3つと後者3つは時間の有無がキーワード。

                      音楽、舞踊、文学を楽しむには時間が必要だ。そこで、SEXも人間の表現

                      活動であることは確かなことだろと考えるアタイ。上記の一文は、まさに

                      芸術の意味と同じような内容を含んでいると違いますか? なんでSEXは

                      芸術の範疇に入らないのだろうか、と疑問のココロ。

                       

                       SEXが隠されたものであることは人類だけのようで、あのボノボだって

                      堂々とホカホカをやってる。人前で出来ないことだから芸術には成り得ないの

                      ってこと? そもそも芸術というのは真の意味で皆が楽しめなければ成立

                      しないの? どこかで秘かにという芸術はないんだろうか。さらに考えは

                      飛躍して、人類の女性の性欲(SEXしたいって気持ち)はなぜ隠されている

                      のだろうとも思う。類人猿のすべて?は女性性器が目立って変化し、受け

                      入れ態勢が整ったことがわかるのに・・・・・。

                       

                       閑話休題、

                      インデペンデント・オンライン・ニュース(2004年2月6日付)に、アテネの

                      空港で英国人女性が金属探知機にひっかかり、身体検査をされたところ、なんと

                      貞操帯が発見されたという記事が載っていた。彼女は、結局、パイロットの責任

                      において、ロンドン行きの飛行機に乗ることは許されたのだが、どうやら

                      ギリシャでの短いバカンスのあいだ不埒な行為をしないようにと夫によって

                      強制されたとのことだった。

                       4  愛こそすべて、で紹介されているこの一文に目が釘付け。ゲゲッ!マジ

                      で!! ロケットぶんぶん飛んでる今、中世の十字軍の時代に生まれたと

                      言われる貞操帯が作られていて、着用する人がいる、なんてこったい。

                       

                      この女性はさぞや恥ずかしかったと思うが、いまでも貞操帯を愛用する人々は

                      けっこうたくさんいる。

                       けっこうたくさんいるんだ〜・・・・・。なんかおいてけぼり食ってるな。

                       

                      しかし、いくらなんでも封建時代ではあるまいし、そんなふうにして相手を束縛

                      することなど不可能だと思われる方もいるだろう。ところが、そうではない。

                      実は、貞操帯とかマリッジタトゥーとかは、「相手に自由を奪われる」という

                      よりも、「相手に自分を管理される喜び」を表現したものと理解すべきもの

                      なのである。

                       まぁ、理屈はわかるけどさ。

                       

                      ある女性は「剃毛(ていもう)されてすっきりしたあそこに貞操帯がぴたっと

                      貼りついている感覚はなんともいえない」と告白しているし、そのよさは

                      「下着をはいていては絶対にわからないと思う」ともつけ加えている。

                       大きく頷くアタイ、その気持ちよさはわかりまっせ。以前、ストッキング

                      着用におよんだ時に足を剃毛して、それで風呂に入ったときのオドロキ、

                      快感は素晴らしかったもんな。さらに、近頃、寝るときにスッポンポンで、

                      これまた気持ちいいのよ。パジャマとか下着なんかナシ、やめられない

                      とまらないんだわさ。

                       

                      しかもあまり知られていないことだが、だいたい貞操帯をつけられる女性は、

                      同時に、剃毛され、アナルにプラグを押し込まれるようなケースが多い。

                      それらはひとつながりのことで、ただ性的自由を奪われるというだけでなく、

                      さらにもっと厳しい調教とも結びつくわけである。中略。経験者の女性に

                      言わせると、「貞操帯も、アイマスクも、剃毛もそうだけど、そんなふうに

                      されると、いつも彼のことばかり考えるようになる、それがうれしい」との

                      ことだった。

                       まぁ、理屈はわかるけどさ。そこまで相手に恋い焦がれたい気持ちない

                      しな〜。相手を想う気持ちはあるけど、まず自分があって、その合間にって

                      思う程度だかんな。

                       

                      基本的に、貞操帯は浮気防止のために使用されているものだが、お互いの

                      純潔さをさらに追求するあまり(つまり、女性の側だけでなく、双方向的

                      な試みとして)、お互いのヘアを剃り落とし、そこに名前をタトゥーで

                      刻み込むカップルも最近増えている。いわゆるマリッジタトゥーという

                      やつである。

                       愛もややっこしいことになってる。剃毛するってことは、頻繁に

                      剃らなくちゃならないってことだし。第一、剃るにしたってカラダが硬い

                      オレッち、剃るに剃れない手が届かないし見れない肉体的限界があるワケ

                      でね。

                       

                      昨今の性の乱れに意義を唱えるはずの純潔主義者たちも、そこまでやると

                      逆にかなりおかしなことになってくる。せいぜいが爪痕や歯型を残す

                      くらいが好ましいように思えるのだが、いかがであろうか。

                       学者として研究対象を掘り下げることとは別に、自分の考えは考えと

                      してある。そこが学者としてプロとしての限界がある。どこまでも追求の

                      手はゆるめない、とことんやってみようじゃんか、は素人でなければ

                      なし得ないことのでしょうか。ウ〜ム。そんな気もする今日この頃で

                      ござんす。

                       

                      人は人なり、我は我なり、ってか・・・・・・・・・な、店主でした。

                       



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