オヤジ臭

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     仮称「寸法クン」は一休み状態なんだ。というのも、珍しくツマミを求めて

    来店されたお客様があり、足の踏み場もないファクティオを整理するべく

    大嫌いなお掃除に日が暮れる。飽きっぽい性格→仕事の巾を広げよう→そう

    すれば一つことをズ〜っとやらなくても済む→飽きたら次へと駅伝仕事と

    なれば、飽きるヒマがない。とまぁ、考えたんだけど、広すぎた手がアタイ

    の能力をオーバーフロー、はて? なにから手をつければよかんべえの

    真っ最中。う〜む、雀百まで踊り忘れず? 意味が違うか??

     

     ともあれ、畏友T野井さんからコメントが入った。

     可動部の芯に金属を使うのも一考かと思います。加工は(木ほど)自在に

    いかない分、強度が担保出来るのでスッキリしたフォルムが描けます。

     

     機にして敏なるご協力どうもデス。そうなんですよ、加工して座面を上げ

    下げするには柔らかすぎるんです、木は。

     ご指摘の部分はココですよね。●が5つ上下に並んでる。●の左に固定する

    ボルトのエレベーターみたいな溝は考えてみた。この5段階でよしとするなら

    いいのですが、さらに考えた。アタイのカミサンは膝が悪くて、座卓で食事

    する際に脚を投げ出さざるを得なくって、それなんとか解消できないかと。

    優しいなァ。もっと下まで座面が下がれば、ウマくゆくかも。それとね、一応

    5段階にセットしたけどさ、男女によって高さは違うだろうし、標準位置より

    もちっと低くしたい高くしたいと思う方だっているだろう。

     

     そう考えれば、●の間隔は出来るだけ狭くしたいかも、櫛みたいにね。

    今の●だって、上の4つの間隔は15ミリしかないからさ、木で大丈夫?

    って言われれば不安は膨らむ。そんなこんなを考えると、●がスライドする

    部分だけを金属にするアイデアは至極妥当なもんで大いに賛同するアタイ。

    問題は金属にするにしてもどこに頼むか。多分、真ちゅうになると思うけどさ。

    作ってくれるとこ知ってる?

     

     ってなことありつつクラプトンのCDを三枚買ってしまった。押尾コータロー

    の「LOVE STRINGS」を聴き、FMで知ったJULIAN LAGE and CHRIS

    ELDRIDGE「MOUNT ROYAL」を聴き、いいんだけどなにか違うなぁ〜と

    思いつつ、クラプトンに逆戻りみたいな。「なにか違う」な違和感、はて

    原因はどこにありや? 車を運転してるときに思い浮かんできたのが

    「オヤジ臭」。多分それだろ、と。

     

     コータロー君のギターはとてもキレイ、録音もいいし、これはこれでなんの

    文句もない。JULIAN & CHRISも同じような感じでけっこうなCDだ。アッシ

    が感じる違和感は、「オヤジ臭」がないことで、キレイすぎて蒸留水のような

    音楽ではすでに物足りないカラダになってしまってたみたい。でもさ、大好き

    モーツァルトだってオヤジ臭なんかないじゃん。クィーンだってないし。

    ま、なにもオヤジ臭だけが唯一絶対神なワケでもなし、矛盾してるあれこれ

    が混在してるのがアッシという個人であり、それが個性だろ、ということで

    一応の決着がついたんだわさ。

     

     それはそれで良しとして、気になるのは「オヤジ臭」だ。ゴッホには感じる、

    けどピカソには感じない。キャロル・キングにはちょっぴり感じる、アネサ・

    フランクリンには大いに感じる。ティナは満載だけどセリーヌディオンはほぼ

    皆無。そう考えるとアッシが好きな音楽がほのかに浮かび上がるような気が

    するのよね。浮かび上がったからっていっても、それで? ってことなんだ

    けどさ。好きで好きでの音楽、好きな傾向がほんの少し理解出来た喜び

    (っていうほどでもないけど)は、極私的なかなかのもんなんだ。音楽を

    聴くこととモノを作ること、いずれも私の表現であることに変わりはない。

    ならば、オヤジ臭は今作ろうとしている椅子にもなんらか雰囲気だけでも

    漂わせたいじゃないっすか。

     

     そこで考える。そもそもオヤジ臭ってのはなんなの?とね。生まれたての

    考えだから間違っているかもしれないけど、基本的にキレイなのはイカン、

    特にきれい過ぎるのはイケマセン。そんじゃ汚いのがイイかというと

    そうでもない。キレイの反語は汚い? 多分その考えが間違っているんだろ。

    はて、どんな言葉が適してるのでありませうか。

     

     なんともあやふやな内容で理解してもらえないんだろうな、きっと。

    で、ネーネーズ。ネーネーズにはオヤジ臭充分にあります。といっても

    あくまでアッシの感じでしかないからわかってもらえないかもしれない

    けど。コレは多分、知名定男さんの考えによるものなのかもしれない。

    民謡が下地になってることに異論をはさむ方はいないだろう。

     クラプトンの音楽はブルースが根底にある、日本ならさしづめ民謡だ。

    私の知る狭い経験だけどオヤジ臭の巨星は高橋竹山。津軽民謡に聳える

    高峰にして門付の最後の経験者。渋谷ジャンジャンで聴いたときにゃ

    後ろの壁の向こうに津軽の風景が浮かび上がったもんな。今も脈々と

    流れる民謡の心、と言いたいところだけど、聞こえてくるのは商業化

    された民謡歌手ばかり、土着的で力強い音楽性はどこに行ってしまった

    のやら。

     

     今や日本全国均一化されたもうた。どこに土着があるものやら。唯一、

    残っていそうな感じがするのが沖縄かしら。まだまだ言葉だって違うし

    文化も違うし、守ろうという姿勢がここかしこだもんね。空手にしても

    そうだしさ。そんな風土から生まれたネーネーズは、生まれるべくして

    生まれたんじゃないかとアッシは思ってるの。ネーネーズの音楽世界を

    どうしたらアッシの椅子に取り込めるのやら、幸せな結びつきはできる

    のかしら。

     

    ネーネーズ聴きながら椅子作ろうっと・・・・・な、店主でした。

     


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